30年来の引っ込み思案が克服されるまで

僕は以前は自分の意見がはっきりと言えない人間だった。
生まれてきて約30年間。

ところが、
今の僕はズバズバと自分の意見を言うし、
自分から積極的に自己開示してコミュニケーションを取れるようになっている。

一見、自分から他人に話しかけるという
以前なら高いハードルも今はそれほど気にせずにやっている。

一番の変化は引っ込み思案という特性を逆に活かせるようになったこと。

今は外向的な人にはない能力だということに気づけていて
もともともっている引っ込み思案だった能力をフル活用している。

何がきっかけだったのかなー
と、

振り返ったときに、
あるきっかけがいくつかあったのでその辺のことを書いていく。

ゲームボーイの簡易版のやつが欲しいけど親に気を使う子

僕は小さいとき、
親に気を使って欲しいものを欲しいと言えなかった。

例えば本当は欲しくても、
欲しいと言えば否定される。

お金がかかるから。

犬とか猫とか飼ってみたかったら、
「犬飼いたい」と言ったこともある。

けどお金がかかるし、
犬の散歩の時間がかかるから、
受け入れてもらえなかった。

野球がしたいと言っても、
「野球するならテニスか卓球した方がいい」
と言われた。

チームプレーより、
個人競技の方がいいとかなんか言ってたな。

小さきときから、
僕の意見は受け入れてもらえず、
現実的な結果(成功)に結びつく習い事を、
親から強制的に習わされた。

いつしか本音を言うと否定されるので、
親の意見に合わせる子になっていた。

今でも覚えてるけど、
たまーに母親が「あんた○○○欲しいんちゃう?」
と僕が欲しいおもちゃ買ってあげようか?
みたいなことを言われたことがあった。

それはなんか任天堂のゲームボーイの、
簡易版のものだったと思う。

僕の学校の友達が、
それを持っていて僕がうらやましそうにしてたからかもしれない。

母親はたまには、
欲しいものを与えておいたらいいだろー
と思ったのか。

母親は息子の僕に気を使って、
買ってあげようとしている感じ。

それがなんとなく読めてしまった。

本当は欲しかった。
けど「別にいらない」と答えた。

それでお金が浮くなら、
母親的にはそっちの方がいいだろうと思って。

僕はムダなものを買って、
家庭のお金を減らすまいと母親に逆に気を使っていたのだ。

すると「へー。エライな」、
みたいなこと言われたと思う。

その瞬間に、
あーやっぱりそうかそっちか。
そっちの選択が正解だったのかって僕は思った。

そうしているうちに、
僕は親と会話をするというより、
親の顔色を伺って過ごしていた。

自分のやりたいこととか、
欲しいことを言ってはいけない。

自分の欲求を親に言って、
拒否されることを過度に恐れていた。

ありのままの自分を吐露すること。

それは許されないこと。
いつしか自分の欲望は押さえつけるようになった。

自分の意見より親の期待通りに動くことが正解のようになっていた。

学校や職場では仲がよくてもその場だけの関係

これが友達同士の人間関係にも影響した。

小学生のときから、
学校と放課後は別人みたいな感じだった。

学校では仲が良い感じに振る舞ってても放課後遊ぶことはない。

教室では超絶仲良くしてるのに、
放課後は向こうに友達がいるのを見つけたら、
わざと避けて違う道を通って帰るとか。

親との関係でもう距離をとっていたので、
友達とも距離の近い関係は望まなかった。

近い関係になって、
自分が受け入れらなかったときの苦痛に対しての防御策なんだろーな。

今振り返ってみるとそれで自分を守っていたのかもしれない。

けど他人の期待に対して敏感。
コミュニケーションがとれないわけではない。
初対面は大得意みたいな。

だから逆に2回目、3回目、4回目と会うパターンは苦手だった。

「あれ?そんなおとなしかったっけ?」

とか言われて。

引っ込み思案炸裂。
バレてる!
みたいなw

距離の近い関係は、
安心とかよりも苦痛を感じてしまう。

簡単に言うとベタベタできない。

これは20歳を過ぎても変わらなかった。

職場でも同じだった。

人の何倍も飲み会などが苦痛。

何でみんなそんなに仲良くなろうとするのだろうか。
すごく疑問だった。

上司と仲良くする同僚。
すげーなと思いつつも僕にはできない。

あんな仲良くしちゃって、
休みの日に飲みに行こうぜとか誘われることを想定してしまうとゾッとする。

あー自分は社会不適合者なんかなー。
僕は他人はちがう。

どうしても自分はそこに劣等感を感じてしまっていた。

自分は本当はコミュ障なのか?
ダメな人間なのか?

社会で生きていて、
そう思わざるを得なかった。

僕は自分が一時期コミュニケーションができない人間だと思い込んでいた。

ズバズバと意見したら喜ばれて「え?」

そんな引っ込み思案の僕が、
克服のきっかけになったのは、
開き直ったところにある。

どうせオレは協調性もなく、
集団行動もできひん人間よ。

クソっ。

だったら一人で勝負してやるわ。

それまでの僕は、
ちょっと頑張ればコミュニケーションがとれる
という自覚もあって、

頑張って社交的にする方に対して、
意識が向いていたんだと思う。

オレはそっちもできる、
みたいな一種のプライドだと思う。

それをもう諦めるというか、
どうせできひんのやから、
引っ込み思案で内向的でもできることしようと。

開き直った。

それは引っ込み思案であることを、
自分で認めたってことでもある。

もうええわと思って。

で、Web上で思ってることとか、
文章にして書きまくった。

なんかキレながら。

世の中に対してとか、
仕事に対してとか、
人間関係に対してとか、
働き方に対してとか。

もう本当にズバズバ文章にして書いて。

僕の感覚としては、
遺書みたいなノリ。

オレに存在価値はない。

みたいなそんな感覚だったんで、
もう何を言われてもかまわないみたいな。

単純にそれはブログみたいな、
Webコンテンツにして書いて。

そしたら、

「勇気をもらいました」
「読むだけで希望が湧いてきました」
「考えにとても共感します」

とか反響があって。

喜ばれて。
最初は自分でも意味わからんかった。

え?

と思って。

どこが?
これのどこに勇気をもらうの?
みたいな。

けど、それでね、
あーこういう反応してくれる人もいるんやなー
ってのがそこで初めてわかった。

それってマジの反応やから。
偽りのない。

だってリアルでしゃべってたら、
相手も気を使って良い反応するとかあるじゃないですか。

けどWeb(ネット)とかの場合って、
わざわざ反応してくれる人って、
本心というか本音を書いてくれてるんで。

そこで、
僕はあー本音で伝えても受け入れてくれるんだ
っていうのを知れた。

これが引っ込み思案とかじゃなくて、
自分の意見どんどん言った方がいいと思えた1つのきっかけ。

だから今まで意見しなかったのを、
とりあえずネットで書きまくったのがはじまり。

文章にしたものをしゃべるようにした

それから、
さらに僕は文章にすることで、
救われる人がいたのを知れたことをいい気に、
口頭でもしゃべるようになった。

それは、
単に文章で書いたものを、
まずは話すところからはじめた。

文章にしたものを、
話すことならまずできそうだ。

僕はまず台本を作った。

これを話そう、
これを話そうというレジュメみたいなものを用意する。

最初は一言一句台本を読むこともあった。

けど、
Web上で例えば動画のようなものを作る場合は、
台本があっても問題はない。

というか、
世の中の公共に出てくるものは、
多くのものに台本がある。

政治家の演説にだって台本はあるし、
できるセールスマンも台本を作ったりもする。

僕は台本を作るやつはデキない人間、
みたいな思い込みがあったんだと思う。

けど、僕は開き直っているので、
とにかくまずは文章にしてそれを話す。

そういうところからはじめた。

僕はこれまでWeb上に、

動画を少なくとも500本を作った

んだけど、
そういうことをしているうちに、
自分の意見を話すことに対しての抵抗がなくなった。

最初は一人称で、
ひたすら自分の意見を言葉にする感じだったけど、

やがて、
二人称でも応用できるようになった。

今は人前で話すこともあるし、
複数人の前で話すこととか全く苦痛ではなくなっている。

むしろ、
引っ込んでてたら損するとしか思ってない。

この感覚は、
昔の自分からしたら、
今の自分を見たらビックリすると思う。

けど、だからと言って、
もともとの性質の引っ込み思案な部分が消えた
というわけではない。

その引っ込み思案の特性を起点に、
文章にして自分の意見や本音を書くところからはじめただけ。

今でも例えば名刺に、
アピールする文章を書いて、
リアルでお会いするときにそれで興味を持ってもらうとか、
そういうことはしている。

だから、
それはやっぱり引っ込み思案だからこその特性だ。

けど、逆にそれをやる人っていうのは少ない。
というかあまり見たことがない。

だから、

引っ込み思案の特性を活かして目立つ

みたいなことは、
僕にしかできないことだと今は思っている。

これがもともと外向的な人間だと、
思慮が浅いし悪い言い方をすれば薄っぺらい。

けど、
僕みたいな引っ込み思案というのは、
リラックスした状態では相当な威力を発揮する。

客観的だし、
自分で解決できる能力も高い。

つまり、

もともと持っている引っ込み思案要素と、
それを活かして目立つ要素をうまく使い分けるみたいなことができる。

両刀みたいな感じかな。

それは、
もともと引っ込み思案な人間にしかできない技術であって、
社会で活躍できる素質ということでもある。

僕も昔はそんな風には思えなかったけど、
今それが実現できているからこそそう思える。

さらに言うと、
1対1のコミュニケーションに長けているので、
実は信用を得られやすい。

よく引っ込み思案な人は、
・セールス
・接客業
には向いてない。

みたいなことを言う人がいるけど、
それは全く見当違い。

1対1のコミュニケーションに長けているので、
自分の得意な1対1状況に持っていくことで、
十分社会で活躍できる。

もちろんいきなり、
今日からうまくできることはないかもしれない。

けど、
僕みたいにまずは書くところからはじめてもいいし、
台本を作ったっていいわけで。

なんかそういう、
克服のきっかけって、
逆らわずに

はいはい自分は引っ込み思案ですよ。
って自分の特性を認めるとがデカいと思うけどね。

このブログの運営のきっかけ

僕は「気にしすぎ」が書く才能に化けて生計を立てるまでになりました。

繊細すぎて気にしすぎでクヨクヨして社交性がない内向的な人間でした。

慎重で真面目すぎて行動が遅かったり、
人と一緒にいると疲れるので一人でいることが多いため、
社会からの疎外感をずっと感じてました。

けど僕はこれらは才能であることに気付いて、書く仕事を中心として生計を立てるまでにになりました。

今では物語コンテストで賞を獲ったり、
営業用の台本を書いたり、
裏でインフルエンサーをプロデュースしたり、
自分で企画会社をやるまでになって、
気にしすぎる性格を仕事の才能に変えました。

もともと修学旅行も文化祭も欠席してた繊細人間が、
どう社会で活躍できるように変わっていったのか?

その過程を自己紹介も含めて記事にしました↓

気にしすぎる性格を活かして書く仕事で生計を立てるまで【自己紹介】

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