もう死んでしまったらから言われへんのよね。
僕の少年野球時代の恩師の監督。
もし会うことができたら伝えることができるけど。
古川監督よ。
この話は僕が小学校4年生のときの話。
結論から言うと、
真剣な場面でおちゃらけてどうすんねん。
年齢とか関係ないやろが。
誰に対しても真剣に向き合うからこそお互い学べるんやろが。
っていう、
僕の真面目な性格が社会で損していると気付いた第1回目だけどやっぱり真面目な方が良いよねって話。
まあこれは仕事にも通ずる。
僕は少年野球チームに入っていた。
当時小学校4年生。
その少年野球チームには、
確か当時20人〜25人。
今でも覚えているのが、
6年生だけで12人ぐらいいた。
だからその少年野球チームは1軍2軍みたいな感じでAチームとBチームに別れていた。
僕は4年生でBチームのキャプテンだった。
僕は4年生だけど、
唯一6年生の中に混じって、
Aチームの試合に出ていた。
古川監督が抜擢してくれた。
「お前ショート守れ」と。
で、ある時、
もう覚えてないけど、
監督も含めて宿泊合宿に行くことになった。
AチームもBチームも合同で。
で、
夜中にBチームのメンバーと古川監督みんなで腕相撲をやろうってことになって。
Bチームは最年長が小学校4年生だから、
他は2年生とか1年生とかもいる。
当時50代の古川監督からしたら、
小学校1年生の野球少年なんてかわいくて仕方ないんだろう。
そのなかでも、
特に1年生のヤスヒロというやつ。
確かに可愛いかった。
当時4年生だった僕が見てもめちゃくちゃ子供で。
特にそこは三兄弟の3人とも、
同じ少年野球に所属していたから、
余計に末っ子のヤスヒロは可愛いさが目立っていた。
で、
トーナメント戦で、
腕相撲をやっていくんだけど。
僕はBチームのキャプテンで、
Aチームのレギュラーでもあったから、
力も強いのは当然で。
優勝候補みたいな。
で、
やっていくうちに、
僕はそのヤスヒロと対戦することになる。
まあある程度の周りの感じで空気は感じた。
空気読んで、
負けろよっていう。
合宿の夜の遊びのノリだしね。
他の部員が審判で、
僕とヤスヒロの手を添えた。
「レディ・・・」
僕はこの1秒から2秒の間、
真剣に考えを巡らせた。
1秒から2秒の間だったけど、
めちゃくちゃ真剣に考えた。
空気を読んでヤスヒロに勝たせるべきか、
ここは普通に僕が勝った方がいいのか。
いや。
負けてあげる意味はない。
そんなことをして誰が得をする?
ここは真剣勝負だろ。
手加減など意味がない。
「ゴー!!」
僕は瞬殺で、
ヤスヒロの腕を反対側に押し倒した。
その瞬間に、
一気に周りがブーイングの空気になった。
周りのBチームの部員の誰かが「おい〜」と言った。
そして、
古川監督が僕に向かって、
「おーい!負けてやれよー!!」
と怒鳴りちらした。
僕は呆然とした。
え?
あーそっちなんや。
僕は僕なりに考えて、
真剣に手加減せずに勝負して、
ヤスヒロが瞬殺で負けることによって、
もっと力つけて野球頑張ろうって思ってもらった方がいいんじゃないかと思った。
けど、
その場でそんなことを言える空気でもなかった。
僕と僕以外の社会。
ここにすごく乖離したものがあると感じた瞬間だった。
第1回目。
おそらく僕の頭の中でいろんなものが巡っていたんだと思う。
というのも、
気がついたら僕はヤスヒロの対戦で負けたことになっていた。
トーナメント戦だから、
“僕以外の社会”が勝たせたヤスヒロは、
次の試合でまたニッコリしながら対戦をしていた。
僕はそれ以降その合宿での記憶がない。
強烈に今でも覚えているのは、
「おーい!負けてやれよー!!」
と僕に言ってきた古川監督の顔。
僕はその後、
僕と僕以外の社会は、
何か違うのかなと思いながら生きていた。
古川監督の、
「おーい!負けてやれよー!!」
は、
当時小学校4年生の10代から、
30代になる今までずっと考えてきた。
その合宿の腕相撲。
ヤスヒロと対戦したときの選択を僕は間違っていたのか?
という問いかけを何度もした。
なぜか何年経ってもずっと気になっていた。
けど、
僕は学年とか関係なく、
やっぱり真剣勝負をしないと、
相手に失礼だと思っている。
こっちが手加減して勝たせてあげる意味があるのか?
1ミリもない。
4年生のキャプテンの僕に一瞬で負けた。
それを味わう方が大事だろ。
それが学びになるのじゃないのか。
ヤスヒロのこを真剣に考えたら、
1年生だから手加減をする方が、
ヤスヒロにとって失礼だ。
このあいだ、
本田圭佑が小学生相手に、
ガチで真剣勝負でサッカーしているのみて、
やっぱりそうだよなって思った。
そこで、
手加減するのって、
小学生に失礼なんよね。
結局1年生のヤスヒロだから手加減するってのは年齢とかで差別してるってことなんよ。
本当に年齢とか関係ないなら手加減したりする必要ないもんね。
僕はそんなこともわからんヤツに教育されたということが許せない。
もちろんその教訓を反骨精神にして年齢とか実績とか関係なく誰に対しても同じように人と接してきたし、1ミリでも学べるところがあったら学ばせてもらうようにしてきた。
相手に時間をとる場合は、
こちらからお金をお支払いして教えを請う。
もう死んだから伝えられへんけどね。
古川監督には。
もし話せるならその時の真意を伺いたいとも思う。
僕はそうやって小さいときから、
自分以外の社会がなんか違うな
というのを感じてきた。
誰に対しても平等に接したいという性質が批判の対象にもなってきた。
このブログの運営のきっかけ
僕は「気にしすぎ」が書く才能に化けて生計を立てるまでになりました。
繊細すぎて気にしすぎでクヨクヨして社交性がない内向的な人間でした。
慎重で真面目すぎて行動が遅かったり、
人と一緒にいると疲れるので一人でいることが多いため、
社会からの疎外感をずっと感じてました。
けど僕はこれらは才能であることに気付いて、書く仕事を中心として生計を立てるまでにになりました。
今では物語コンテストで賞を獲ったり、
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自分で企画会社をやるまでになって、
気にしすぎる性格を仕事の才能に変えました。
もともと修学旅行も文化祭も欠席してた繊細人間が、
どう社会で活躍できるように変わっていったのか?
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気にしすぎる性格を活かして書く仕事で生計を立てるまで【自己紹介】
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